皆様
あたたかいお言葉、ありがとうございました
大好きなおばあちゃん
ちゃんと見送りました
苦しむことなく息を引き取ったようで、とっても穏やかな顔をしてました
お肌も色白でスベスベ
でも
冷たかった…
ダメだダメだ
あかんあかんっ
おばあちゃんのおかげで、親戚一同が集まりました
親戚、元々少ないんですけど、それでも会わない人は会わないので集まることが出来て楽しかったです
↑↑↑
楽しかったって言ったら罰当たりですね
写真でしか知らない親戚や、話には聞いていた親戚や、私が赤ちゃんの時ぶりの親戚や
「孫のゆうみです」
って言ったら
「あぁ、舞台やってはるんやんね」
って
知っててくれてはるんやなぁ
ちょっと嬉しかったです
おばあちゃんのおかげで親戚ともお話出来たよ
ありがとう
喪主は95歳のおじいちゃん
さすがにそれなりにお年寄りですが、まだまだ元気で
お通夜の時、みんなの前で少し演説したみたいです
(その時たまたま席を外していて聞き逃した〜
)
高校教師として働いている間、毎日毎日、一日も休まずおばあちゃんがお弁当を作ってくれたから、今でもこうして健康でいられる…とか
なんかイイ話してたらしいです
おばあちゃんが亡くなった時には
「一人になってしまった」
って、やっぱりすごく寂しそうだったみたいで
娘も孫もひ孫もいるよ!!
と思うけど
長年連れ添ってきた「連れ合い」ですからね
そこは違うのでしょうね
でもでも
お葬式では面白いこともあったんですけど…罰当たりなので(笑)
親戚一同でその話、楽しみたいと思います
ちなみに
昨日の金環日食は、お葬式の時の「御会葬」みたいなやつが入っていた、深緑色のビニール袋を二重にして見ました
おばあちゃんのおかげで金環日食も見れたよ
ありがとう
おばあちゃん、美人でね
遺影に使う写真、昨年だったかな?ちゃんと自分で選んでたんです
還暦の頃の写真(笑)
調子があまり良くなくなってからはユニクロの服なんかも着ていましたが、それまでは着物が普段着でした
髪も毎日綺麗に結い上げていました
華美な着物ではなく、あくまで普段着
元芸者の蝶子さんという役を頂いた時、お衣裳以外に着物を用意しなくてはいけなくて…
おばあちゃんに相談しに行ったなぁ
叔母がおばあちゃんに作ってあげた帯を「これなら使いやすいよ」とくれました
さすがおばあちゃん!!
着物が生活に根付いてましたね
お料理がとっても上手で
だし巻き卵が絶品で、行った時には必ず作ってくれました
子供の頃、おばあちゃんの美味しいご飯を食べすぎてお腹パンパンでのたうち回ったこともありました
(赤玉腹薬を飲まされました)
高三の時は大学受験のために、毎週土曜の放課後にはおじいちゃんに英語を教えて貰いに行っていましたが…
正直なところ、おばあちゃんの作ってくれるお昼ご飯目当てで行っていました
(おじいちゃんごめんね)
一度、二人っきりで宝塚を観に行ったこともありました
阪神大震災の後で、宝塚大劇場が閉鎖になっていたので、今の梅田芸術劇場の二列目の一番下手側で観て
帰りに三番街の中華料理屋さんに行きました
確か母からお金を貰ってたからそれで払ったんだけど、おばあちゃんは何回も「ありがとう」って言ってくれました
そういえば、おばあちゃんに一番最後に会った時も
「ありがとう ありがとう」
って言ってくれたなぁ
ありがとうって伝えたいのはこっちだよ
おばあちゃん
私の舞台を、一度観に来てくれた時
私の役はおばあちゃんでした(笑)
「老い」が大きなテーマの作品で、おばあちゃん、どう思ったかなぁ…
「よくあんなに台詞覚えられるねぇ」
って驚いてくれましたが
あれからもう10年くらい
今ならまた全然違う役作りが出来るな
もう観て貰えないのが残念
まあまあまあまあ
思い出は尽きないし、既に顔ぐじゃぐじゃになっちゃってるので
ここらで終わります
おばあちゃ〜ん
ホンマにありがとうね
大好きやで!!!!
数珠
…ではなく、伊瑳谷門取先生からヨーロッパ土産に頂いたブレスレット
「魔よけかも知れませんねぇ」
だそうです
ブレスレットとかバングルとか好きなので嬉しい
ピラモさんは赤いのを頂いてました
ありがとうございました